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アカネイア大陸各国の歴史

アカネイア大陸

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 ゲームの背景となっている、アカネイア大陸各国の歴史について少し説明しておこう。
各国の歴史的背景を少しでも知っておくと、別の部分でゲームを楽しむことが出来るのではないか?とかんがえたからだ。
幸いなことに、Wikipediaに各国の歴史に関する部分が記載されていたので、引用させていただいた。

Wikipediaより抜粋

☆タリス王国の歴史

建国前のタリス島は多数の部族が割拠する島であったが、アカネイア暦579年、一部族の長であったモスティンが諸部族を統一して建国した。その際にはグルニア王国のロレンス将軍の助力があった。

アカネイア暦602年、アリティア王国を脱出したマルス王子がアリティア騎士団のわずかな手勢とともに落ち延びてくる。モスティンはマルスを暖かく迎え、東の砦を与えて2年にわたり匿う。

アカネイア暦604年、西の港町ガルダを根城とする海賊がタリスを襲撃。一時王城を占拠する。マルス王子はタリスの恩義に報いるために手勢を率い海賊を撃退する。これを機にアリティア奪還のための兵を起こし、ドルーア帝国との戦いを続けるオレルアン王国を救援するべく旅立つ。これがのちの暗黒戦争終結の第一歩となった。モスティンの娘シーダ王女はマルス王子と行動を共にし戦争終結後に婚約。英雄戦争終結後のアカネイア暦609年、マルス王子がアリティア王国の国王となりシーダ王女がその妃となったことに伴い、アリティアとの同君連合となっている

☆アリティア王国の歴史

解放戦争当時は湿原地帯に存在する地方の一都市国家に過ぎず、アカネイア王国の最後の生き残りである王女アルテミスがひそかに身を隠していた。やがてそのことが露見するとドルーアは王女を差し出すようアリティアに迫るが、この頃からアリティアのアカネイアに対する忠誠心は並々ならぬものがあり、圧倒的な兵力差にもかかわらずアリティアの民は一丸となってアルテミスを守る決意を固めていた。アリティアは善戦するも、メディウスの出陣により風前の灯となる。しかしアカネイア暦500年、苦難に満ちた試練の末に勇者アンリが神剣・ファルシオンを手に帰還。暗黒竜・メディウスを倒したことで解放戦争終結のきっかけを作る。のち、再興したアカネイアの後援を受け正式に王国として成立する。しかし、アンリはアルテミスを愛していたため、生涯結婚することはなく、王家はアンリの弟・マルセレスの末裔が継承した。その際に起きたアカネイア暦537年の相続争いが紛糾し、一部が分離・独立したものがグラ王国である。

封印されていたメディウスが復活し暗黒戦争が起こると、アリティア王国もアカネイア王国救援のために出陣するが、アカネイア暦602年、メニディ河でのグルニア黒騎士団との戦いにおいて、同盟国グラの裏切りにあい、精鋭を誇ったアリティア騎士団は壊滅。この裏切りによってアリティア第4代国王コーネリアスは命を落とし、14歳のマルス王子だけがわずかの宮廷騎士団を率いて東方のタリス島へ亡命した。ここにアリティア王国もまた一度滅び去った。後に、国土の全域がドルーア帝国に併合されたが、2年後にマルスの手で解放され独立を回復する。

英雄戦争においては聖アカネイア帝国の攻撃を受けるが復興、戦争終結後はマルスがアカネイア連合王国の初代国王に就任し、タリスとの同君連合となった。

☆オレルアン王国

この土地は古くから「草原の民」と呼ばれる騎馬民族が遊牧を行っていた地域であったが、アカネイア暦499年にアカネイア王家のカルタスにより平定され、その弟であるマーロンが初代国王となり建国された。

成立の経緯上、アカネイアに対する不満がオレルアンの先住民にはあったが、近年になりハーディンの優れた手腕によりようやく国としての体裁を成すに至る[1]。ビラクらのようにハーディンの手によって奴隷身分から解放された者たちもいる。

暗黒戦争においては、アカネイア七王国の中でドルーアに抵抗を続けている最後の国家であった。一時期は王城すら占領され命運は風前の灯であったが、マルス率いるアリティア軍と合流し勢いを回復。城を奪還しアリティア軍と共に暗黒戦争を戦い抜く。

英雄戦争ではハーディンの言葉を信じたオレルアン王の命により、アカネイアと共にアリティアへ出兵。しかしニーナからの密かな働きかけがきっかけで中立の立場となる。英雄戦争の終結後は王位継承者が不在のため、オレルアン王はマルスに王位を譲渡。アカネイア連合王国に併合され、独立国家としてのオレルアン王国は消滅した。

☆マケドニア王国

元はドルーア領の密林地帯であり、ドルーア帝国は多数の奴隷を送り込み遺跡の発掘作業に従事させていた。劣悪な条件下で重労働を強いられたために多くの死者を出す悲惨な状況にあったが、奴隷出身の若者アイオテを筆頭とした奴隷達が反乱を起こし、飛竜を用いたゲリラ戦を展開する。第一次ドルーア帝国の滅亡後のアカネイア暦503年、グルニアへの牽制を目的としたカルタスの援助を得て建国。初代国王の座にはアイオテが就いた。ドルーア帝国の旧領もマケドニアに加えられ、グラやアリティアとも隣接していた。

アカネイア暦598年、暗黒戦争が勃発した直後、アカネイア王国に反感を抱く王子ミシェイルは、アカネイア派であった国王オズモンドを謀殺し新国王に即位。急速に国力を増し、マケドニアをドルーア帝国の中核を成すにまでに押し上げた。しかし604年、アリティア軍の前にミシェイルは敗北。戦後はミネルバが統治者となるが、急激な軍縮を推し進めようとした結果、治安維持機能が崩壊し国土が荒廃、内政の混迷も拡大しており、英雄戦争ではクーデターも勃発している。英雄戦争の終結後は王位継承者であったミネルバが権利を放棄し、アカネイア連合王国に編入されたことに伴い独立国家としてのマケドニア王国は消滅した。

☆グルニア王国

勇将と謳われたオードウィンが大陸最西部の島に入り、アカネイア暦501年、グルニア王国を興す。それ以来、強力な騎士団の力を背景に近隣の未開部族を切り従え、ついに七王国でも一、二を争う強国となった。なお、元々はドルーア帝国の領内に誕生した国家であったが、国力の増大を危惧したアカネイアの強権によって放棄を余儀なくされた。

しかしアカネイア暦598年、暗黒戦争に際しては、当時の国王ルイは気が弱く、復活したメディウスの力に恐れをなしていたこと、そしてアカネイアに対する反感があったこともあり、ドルーア帝国との同盟を受け入れる。結果、大陸最強を誇ったグルニア軍は帝国の主力部隊として活躍することとなってしまった。英雄戦争の後は、国王ルイの遺児であるユミナ・ユベロ姉弟が王位継承者として生存しているが、両名ともまだ子供であるためか直ちに即位はせずユミナはアカネイア連合王国の首都・パレスへ、ユベロはアリティアへそれぞれ留学している。

☆アカネイア王国

初代国王アドラ1世がこの地にあった多数の都市国家を統一、アカネイア聖王国を建国したことにより始まる。またこの建国年をもってアカネイア暦元年としている。アカネイア暦493年、ドルーア帝国の侵攻により聖王国は滅亡。5年後にカルタスと聖王国の王女であったアルテミスによりアカネイア王国として再興される。 アカネイア暦600年に再びドルーア帝国の侵攻を受けて首都・パレスは陥落、グルニア黒騎士団のカミュに保護されてオレルアンへ亡命した王女・ニーナだけを残して王族は滅亡してしまう。

暗黒戦争終結後のアカネイア暦606年、ニーナと婚約したオレルアン王弟・ハーディンが新国王となる。アカネイア暦607年、アカネイア神聖帝国へ改称。 強大な武力を背景に近隣の弱小国を併合し、さらにはアリティアを侵略・占領し、英雄戦争を引き起こす。 だがアリティア占領以降、優秀な騎士たちは次々に離反し、アカネイア軍の大半は傭兵が占めるようになってしまった。首都パレスでの決戦の際も、多くが質の悪い傭兵だった。 最終的にアリティア軍の反撃により帝国は1代限りで滅亡、その勝者であるアリティア国王子・マルスがニーナの要望もあって新たにアカネイア連合王国を王位継承権の断絶した周辺諸国を編入する形で建国した。なお、その後ニーナは消息を絶ち(シリウス…いやカミュと共に…)、アカネイア王族は事実上断絶している。

☆カダイン

アカネイア大陸北部・マーモトード砂漠南部に位置する学園都市。この地域に統一された国家は存在せず、アカネイア暦550年に大賢者・ガトーが開いた魔道学院を中心とする学園都市には各国の子弟が留学しており、高度な自治体制を敷くと共にカダイン魔道軍と称する独自の防衛組織も有している。

また、マーモトード砂漠の北部にはかつて、暗黒魔道を究める者たちが集ったとされる都市・テーベが在ったが、現在は砂の部族が跋扈する土地となり遺跡となっている。

☆ドルーア帝国

ドルーア帝国とは、アカネイア大陸南部ドルーア地方において、地竜族の末裔メディウスが二度にわたり建国した竜人族マムクートの帝国である。マケドニアの密林地帯、古くよりマムクートが住まう地に建国された。

第一次ドルーア帝国

第一次ドルーア帝国はアカネイア暦490年に建国された。

当時のドルーア帝国の実態がどのようなものだったかは定かではない。数少ない文献には「彼らは自らの武器も作れない未熟な種族であったが人語を話す事ができ、自分達の長はメディウスであり自分達の国はドルーアであると語った」と記されている。ドルーア帝国は人間の国との国交や関係は持たなかった。また、アカネイア聖王国からは「未開の蛮族」と蔑まされていた。
アカネイア暦493年、アカネイア聖王国へ侵攻し滅亡に追い込む(第一次ドルーア戦争)。その後も侵攻を続けアカネイア大陸のほぼ全ての地を掌握する。しかし、アリティア地方出身の英雄、アンリ一世が七日七晩に及ぶ戦いの末メディウスを討伐し、アカネイア暦498年に帝国は滅亡。以後、マムクート達は大陸各地へ散って行く。

第二次ドルーア帝国

アンリのメディウス討伐から100年後のアカネイア暦597年、カダインの暗黒司祭・ガーネフの手でメディウスが復活。

アカネイア暦598年、旧領土内(マケドニア北部)に第二次ドルーア帝国が再興され、アカネイアを再び滅亡に追い込むが(暗黒戦争)、マルス率いる連合軍によって再びメディウスは討伐され、アカネイア暦605年、帝国は二度目の滅亡を迎えた。

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